こんなにも簡単なの

わたしとあなた、あなたとだれかのきせき。NEWS、増田さん。それと、身勝手でどうしようもない人たちのうた。

ふたりのはなし2

12月になっちゃったね。

本当はずっとずっと見ていたかったなあ。

でも、そうじゃない未来もあると知ってしまったから、ひどい自分はこの先、どちらも手放せないのだろうと思う。

私はアイドルじゃない彼をなんにも知らない。

 

 

 

 

ふたりのはなし/ひとりとひとり、彼とその人のはなし

 

 

 

 

何度目かのひとりを知ったあなたはどう生きるのだろう。

どう生きてもいいし、どう生きたって私たちは結局ひとりきりなのだろうと思う。

 

私はずっと、どうやったって人はひとりだと思っているけど、あの頃のあなたたちはもしかしたら、ひとりではなかったのだろうかと考える。

寄り添えていたあなたたちは、それとも今と同じくらい、いや、今よりももっとひとりだったのだろうか。だからこそだったのだろうか。

 

知る由もないし、知らなくていいとも思うけれど。

その時から今は始まっていて、今のあなたがこれからを形作っていく。

その過程をもう少しだけ近くで見ていたいと思うのは、ひどく傲慢だね。

 

揺らぐ焦燥のようなものを無視すれば、こんなにも外で見ているのは容易い。

どうなるか分からないから夢しか見ないけど。

なるべく、なんかいい感じにならんかなあとは思っている。

 

喉と鼻の奥にこみあげてくるものを下しながら言う。

ほら、大丈夫だよ。

大丈夫、まだいけるよ。

だから、どうか、

 

 

あなたを生きて。

ふたりのはなし1

7月8日のあの瞬間に私の中で確かにひとつが終わった。

部屋のベッドの上で体育座りをしながら、そこに映る映像を見ていたのを覚えている。

12月31日を待たなくても、そこが区切りになってしまったから、今になってこんな文章をあげるのは本当に今さらだ。

 

それでも、あと1ヶ月すらすらとあなたを思い出せる期間が残っていて、それを過ぎたって私はあなたを思い出すけど、かつてそうだったという明確になり過ぎたしこりを感じずに思うことは出来なくなるのだ。

あなたがどんな形でこの先その存在を示してくれたってきっとそう思う。

 

さらに言えば、ある番組が12月の後半にもう一度お別れの機会をくれるらしい。なんて親切で、なんて残酷な。

本当にもうそこで終わりだよと言われてるみたいで、ありがとうと一緒に悲しくなった。でも、本当に感謝しているんだよ。ありがとう。

 

だから私も、自分なりの1つの区切りと宣誓として。

誰にも見せる気のなかった夢物語を残しておこうと思う。

あと1ヶ月、私は大好きな彼と、彼と一緒にいたその人のことを思う。

 

 

 

ふたりのはなし/そのひとが大事に大事にしてきたものと、彼がこれから闘い続ける場所

 

 

 

あの頃と同じ感覚を感じたかもと思うのは、私の欲望でしかないかもしれない。
でも今も、あの頃も、置いていかれたのは彼の方だと思っている。
あの頃から、その背中を見ながら置いてかれたのは彼だったし、
あの頃からその人は、きっともっと、ずっと、遠くに進んでいくよっていう確信は確かに彼の胸にあったのではないかと思う。
あんなにつよくて脆くて高くて淋しそうで、確かに守られていて、ひとりだったはずなのに、縋り付いていたのはどっちだったんだろう。
けれども確かに、その人は傷つき守られながら、立ち続けて、そこで静かに守ってきたんだろう。

 

 

空を仰ぐ

「epcotia 」というそれだけで完成されたシナリオの中に、一連の流れの中に組み込まれる断片的な欠けらを、私は包括的なイメージで補完する。

 

思い出すたびに今でも、「Thunder」の後が加藤さんのソロでよかったと思ってるし、なにも持たずに宙に放り出されたようにならなかったことにほっとしている。

 

 

 

「いつの間にか消える」

 

それは私が日常的に思っていることで、そんなものなのだと奥の深いところから度々滲んでくる感傷だった。

 

だけど「ほかの誰か」に言われると、反発的で頑固ものの半分が、そんなことはないと不満げな目を向ける。

 

「そんなことを言うなら、意地でもずっと見ていよう」と悲しくなりながら言うけれど、だけど、本当は、

 

私自身がそれを1番恐れている。

 

 

 

そうしてまた、悲しくなってる。

 

 

 

だから、

どうしたって、泣きたくはなるんだけど。

やさしい世界のつくりかた

 
 
 
「世界はこんなに美しい」
 
あなたがそう歌うのが好きです。
 
 
 
わたしは世界は、愛おしむものなのだと思うよ。
だからわたしは、そんな風にね、
 
あなたには、世界を愛するように自分を愛してほしい。
 
 
 
そんなことを言ったら、あなたには、
もうしているよ、と言われてしまうかもしれないけど。
 
うん、わたしもそう思うよ。
(それが希望とか願いでしかないとしても。)
 
だからわたしは、あなたを好きだなあって思うのよ。
 
 
 
 
***
 
 
「あの頃の僕は負けそうになると誰かのせいにして逃げて 諦めた言い訳はそりゃ楽で
『そして僕はまた』自分に負ける」
 
「確かな答えはどこにもないから探すんだ 恐れないで その足で 迷っていい
何度も諦めるかって言えばいい」
 
 
クラウドを読んだよ。
優しい気持ちになりました。
あなたがそう言ってくれるから、待っているね。
次に会った時に、その声で届けてくれるのを待ってる。
 
言わなくたって分かっているよと言いたくなってしまうけど。
そうやって形に残してくれるから、わたしはまた少しだけ安心する。
 
悔しさも惨めさもすべて晒して一緒に歩こうとしてくれるから、その度に自分の慢心と言いようのない不安に気づく。
正面から向き合わされる。
 
される、なんて言い草が悪いけど、敢えてこの言葉を使わせてください。わたしのちっぽけな惨めさと意地の為に。
 
 
 
 
「その感情を人前であらわにすることは、」それは人としてのプライドだ
あなたを見ていて、偶に、思い出す漫画の1ページがある。あなたがそうだからとかじゃない。きっと重ねてしまうだけで。
だって、思い出すのはわたしだ。「わたし」があなたを見ていて、「わたし」がそれを思い浮かべているんです。
 
ほんの偶に、わたしは自分の惨めさを思い出す。
 
 
 
「あの頃の僕は負けそうになると誰かのせいにして逃げて 諦めた言い訳はそりゃ楽で そして僕はまた自分に負ける」
 

それはあなたの言葉を聞いたあとのことで。外を歩きながら歌を口ずさんいたときのことで。
 
微笑えていたんだけどなあ。。。
握りつぶされたように、唐突に溢れ出してきたものに音は呑み込まれて。
ああ、そうかと不意に思う。
「そして僕はまた、」
 
あなたがどこで涙を流したのかは知らないけれど、何を思って泣いたのかは分からないけれど、(きっと分かる必要もその気もない、知りたいとは、思うけれども)
 

「わたし」はそうだった。っていうただそれだけ。
 
 
 
 
***
 
 
思うふりをして、自分で自分に傷をつけて。
思う痛みだと嘯いたんだ。
 
だからまたキレイゴトを重ねて言う。
 

「確かな答えはどこにもないから探すんだ 恐れないで その足で 迷っていい
何度も諦めるかって言えばいい」

ここの歌詞が好きなの。あなたは負けたと言うかもしれないけれど、だからこそあなたに贈りたいと思う。あなたは自分勝手に思いを綴ったから、わたしも自分勝手に願う。
 
 
 
「確かな答えはどこにもないから探すんだ 恐れないで その足で 迷っていい 何度も諦めるかって言えばいい」
 
あなたに向けて歌いたいと思う。
 
 
 
 
最後に。1番最後にね。
遅くなったけど。ありがとう。
 

NEVERLAND ーどこにもない場所ー

仙台公演お疲れ様です。早いものでツアーも3か所目。いつもとても素敵な、愛で溢れた瞬間に導いてくれるから。たくさんの人にありがとうと言いたくなるね。

24時間テレビのパーソナリティも決定しましたね。おめでとうございます。忙しい日々になりそうだけれど、体調に気を付けて頑張ってほしいです。

彼らの毎日に少しずつでも、うれしいとか楽しいとか、そう感じられるものがあってくれたらいいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京の街中で、ぼんやりと座っているのが結構好きだったりする。たくさんの人が歩いていくのを後目に、空を眺めたりだとか。

そんなことを考えながら。わたしがふと思った、ネバーランドについて。本当はもっと色々考えていたんだけど、その場で書かないとどうにも言葉として出て来ないんです。笑

だから、いま言葉にできた分だけ。

 

 

 

 

 

**

 

 

 

 

 

夢の国、と訳されたりもするけれど、わたしはこの表現の方が好きだなと思う。どこにもない場所。うん、しっくりくる。

 

 

そんなに確かなものではないと思うから。どこにもなくて、でも、どこにでもある場所。きっと求めるかぎり続いていく。ふとした瞬間。何かを思い出したときに。誰かに思いを馳せたときに。

 

心のどこかが迷い込んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 


誰かが笑っている。泣いている。叫んでいる。いつまでも子どもみたいに。思うがまま、抑え込まなくていい。


そして何かを許していく。

 

 

 

 

 

 

 


私たちは心に鍵を持っている。どう使うのかはその人の好きなようでいいと思うけれど、本当は仕舞い込むのも明け放つのも自由自在なはずなんだ。

 

その鍵が、閉篭もるばかりのものでなかったらいいと思う。

 

 

 

例えば、いつもより少しだけ外に意識を向けてみる。君がいて、わたしがいる、「わたしたちの」セカイというものに手を伸ばしてみる。

 

そうすれば、鍵がセカイを繋げていく。1人ひとりのセカイを開いていく。生きていくのに外から流れ込んでくる、たくさんの「騒音」を許しあって形作られた場所がネバーランドになるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

ネバーランド

 

それは不意に見上げた先にある真っ白な雲みたいに。わたしたちの日常に潜り込んでくる。あるいは、雑多の音に紛れてひっそりと。

 

聞き漏らさないようにしたいなと思う。

 

ビルの隙間から窮屈そうに伸びをする花だとか。

 

見えなくならないように、世界にあることを忘れないようにしたい。

 

NEVERLAND。どこにもない場所。

 

楽しむ心を忘れたとき、微笑おうとする余裕もなくしてしまったとき、その場所も忘れられる。

 

 

 

 

 

**

 

 

 

 

 

繋がりのないような、だけどわたしの中ではなんとなく繋がっていたりして。でもネバーランドってこんな感じ。ごちゃごちゃと色んな「もの」がそこにあることを許容している感じ。でも不干渉みたいな。冷たくてあたたかいような、わたしたちのセカイみたいにちょっと息苦しくて心地いい。だから笑ってやろうと思える「ここ」が、どうしたって嫌いにはなれないよね。

だからこの文章もこれでいいのだというこじつけ。笑

 

 

ツアーもあと2か月ないんだね。公演を重ねるごとに、あなたたちが作る夢の国に少しずつ別の色が重なっていくのを、とても楽しみに見ています。実際には見れてはいないんだけどね。それが最後にどんな色になって、ひとつの区切りになるのか。そう思うだけでとてもわくわくするの。

あなたたちが自信をもって届けてくれたものが、それでもまだ続いていく途中の色なんだって実感するたびに、ああどこまで行けるんだろうって。

考えるたびに、いつもいつも。ありがとうってなるの。本当に。

 

 

 

改めて、いつもありがとうございます。

遠くからだけど、見守らせてもらってます。

ずっと、応援しているよ。

体も大事にして頑張ってください。

 

 

唐突に『brightest』を思い浮かべた瞬間。

福岡公演お疲れ様です。いつもたくさんのすてきな言葉をありがとう。

形にしてくれたそれが、きっと誰かの光になる。

今回はまたいつになく抽象的な、詩みたいになりました。笑

 

 

 

 

 

 

 

灯りに群がる虫みたいに、

いつも光を追っている。

 

きらきら、きらきら。

眼下に広がる無数の光。

遠ざかっていくのを見つめながら。

 

途切れがちになって。

斜め前を浮かぶ翼が色をなくして、暗がりに沈むようになった頃。

首をもたげてるのも辛くなったから背もたれに体を埋めた。

追い求めている自分に気づく。

ああ、なんだ。そんなにも、

 


君がいない。

此処は夜のセカイ。my brightest.


ああ、今日もきみに逢えるといいな。

 

 

 

 

 

 

飛行機から外見て真っ暗だなあって思って、帰りの電車でヒカリ聴いた結果。笑

 

 

 

 

 

 

ヒカリの向こう、また何処かで会える。

36°Cという曲

 札幌お疲れさまでした。素敵なライブだったみたいですね。

わたしも早く会いたいなあ。

 

 

というわけ(どういうわけ?)でひとつ。またしても過去文です。

2/21 21:11に書きました。相変わらずまとまっていないです。↓

 

 

 

 

とつぜん聞きたくなって、リピートしてます。この曲は「すり替え」がうまく使われているなあとおもう。以下。あくまでわたしの個人的な感想です。

 

 

 

 

 TVの向こう側 両手を伸ばしても 

 涙は拭えなくて

 答えの無い未来(パズル)の 

 ピースのひとつくらいは 

 心(ココ)にある気がした

 

 

歌い出しを聞いて、まるで私たちの思いを歌っているように感じた。これはたくさんの人がそう思ったはず。

 

 

 霞んでる明日の光を 信じていくその強さに 

 なれたらいいな…

 

 36°Cの熱のある声で

 伝える言葉探していた

 悲しみに触れて それでも夢を描いて

 歩き出す キミのために

 

 

Aメロ、Bメロ、サビと私たちの思いを代弁してくれているかのような歌詞に共感してしまうのだけれど、たまらなくなって聞いていると、サビの最後のフレーズで、

 

 

 僕は歌うよ 声の限り 声の限り

 

 

と続くのだ。もちろん比喩的表現ということもできる。ファンの思いを ”歌う” と表したのかなと。本当はどうであれ、けれどわたしの中ではこの表現は彼らのものなのだ。いつだって私たちに向けて ”歌って” くれていたのは彼ら4人だから。直接的にも比喩的にも。

 

そう考えると、その前の歌詞も彼らのことを歌っているようにも思えてきた。彼らがわたしたちに歌ってくれているような。

 

 

 遠い国の映画の 

 英雄(ヒーロー)みたいにキミを 

 救えやしないけれど

 負けそうになったとき 

 そっと背中押してくれた 

 歌のようになれたら

 

 

2番の歌い出しを聞いてもわたしたちの声にも彼らの歌にも聞こえる。ああでも、やっぱり彼らが歌ってくれているみたいだと聞きながら。

そして次のフレーズではっとする。

 

 

 どこまでも続く未来へ 導いてくあの姿に 

 あこがれたんだ

 

 

そうなんだ。幸せな未来に、一緒にと、手を引いてくれたから勇気づけられて。進んでいくその背中をいつだって目を細めて見ていたんだよ。見失わないように。

また、ファンの心理を思わせるような言葉に込み上げてくるものがある。

 

そうして揺さぶられたままサビに入って、あの大サビに続く。

 

 

 体中にめぐる想い ありのまま

 伝わる言葉探していた

 この手をつないで 僕らは闇の先へ

 歩き出す 夢のため

 

 

こんなことを歌われたらもう何も言えなくなる。しかもそれぞれ小山さんと手越くんが歌っているってところで更にどうしようもなくなってしまう。

ちなみに個人的にはこの大サビと、増田さんと加藤さんの1番が好きです。いや、2番もサビも好きなんだけどね。聞いてる感じとして。まず増田さんの歌い出しでぐっときて、加藤さんへのつなぎで更にきて、で落ち着いてきたと思ったらラスト大サビ〜サビへの盛り上がりでまた色々押し寄せてくるというね。話戻します。

 

ここはね歌詞もすてきね。「伝える」じゃなくて「伝わる」。そしてお互いの手をひいて歩いていくんだね。

そんな彼らの視界の片隅に、ほんの少しでも映ることがあるのなら。繋いだ手のぬくもりにほんの少しでも思い出してくれることがあるのなら、それが幸せだなと思えるんだよ。

 

そこから先はもう彼らの歌だなって思うの。だから、さっきも書いたけど、ラスト4人のサビの、終わりに向かっていくこの部分が本当に好き。大切に、歌ってくれていると感じられるから。

最初はただただ自分たちを重ねていたのに、いつの間にすり替わったんだろう。

仕切りや区切りなどなくて、まるで重ねてひとつのものになるかのような。この歌はNEWSとファンの関係性を表すような歌だと思った。

 

だいぶ前に読んだのだけれど、すごくわたしの中で残っている言葉があって。

 

 「フルスイング」がNEWSの決意表明だとしたら

 「36°C」はNEWSからファンへのラブソング

 

そう書いていらっしゃった方がいて。素敵だなあと思ったの。ひとつひとつの曲がただ通り過ぎていくんじゃなくて、こんな風に響いていくんだね。

それは、彼らがいつだって自分たちの曲を大切にしてくれたからで。わたしたちを思って歌ってくれるからで。ファンもそれに応えて、どんな小さな音も取りこぼさないように拾い集めて行こうとして。

素敵だね。ひとつ知るたびにみんな好きだなって思えるんだよ。出会えてよかったです。

 

 

 

 

 

 

 

 36°Cの熱のある声で

 

 

直接この思いを伝えるように。目の前で、その近くで語り合うように。

私たちの声は届いていますか?

大丈夫だよ。あなたたちの声は、

きっとあなたたちが思うよりも広く、深く響きわたって伝わっているから。

 

 

 

 

 

 

(最後に、素朴に思ったことはね、あなたたちにそういう「あこがれ」はあったのかな。って。

 

なにに焦がれていたんだろう。幸せを願う、と言いながら。見透かしてしまうのがこわくて、とんだ臆病にもなれてしまうんだ。)

 

 

なんかただのポエム。笑

まあ、そんな感じです(←読んでいて自分で恥ずかしくなった)。

 

掘り出しついでにもうひとつ。

 

 

2/13月 メン愛更新

けいちゃん好きだなあ、って思った。

もう小山さんじゃなくて、けいちゃん。

 

 

どういうこと?笑

まあ、そういうことです。残っていたので載せてみました。

今後、こういう短いの出てきたら、なんこか一緒に載せると思います。

 

 

では、今日も読んでくださった方へ。ありがとうございました。

ツアーも始まったばかりです。ほんとはなるべく誰も、痛くならないで終わればいいなと思っているよ。